姜氏内家拳法

中国武術には沢山の流派がありますが、そのなかでも、力を込めずに、身体を整えることにより、より高い身体性能を引き出すことを目的とした流派の総称を「内功武術」と呼びます。
悠久の歴史を誇る中国文明。その中でも一際、異彩を放つのが伝統の武術(功夫)といえます。人体の構造を窮めた先人が、代々研究を重ね伝えてきた、緻密で効果的な運動文化の精髄がそこには見られます。
当会では、中華民国時代の代表的名拳師であり武術教育家・姜容樵(Jiang Rongqiao ジャン ロンチャオ)先師の伝えた心と技を、終焉の地、上海(2023年現在は、鄒老師の故郷の重慶)において今日に伝える嫡伝継承者・鄒淑嫻(Zou Shuxian ゾウ スゥシェン)老師の入室徒児、伊与久大吾(中国名:鄒誠博)の指導の下で、体系的に練習をしています。

目的と特色

当会では、姜容樵老師から鄒淑嫻老師へと伝えられた「天然之内功」を中心に、身体の仕組みや力の伝え方など、古から連綿と伝えられて来た「身体の知恵」を、研究・継承・普及してゆくことを目的とした活動を行っており、伝統武術文化を楽しみ、理にかなった心と身体をつくることにより、生活を豊かに味わっています。
稽古は、武術を体と用、即ち「体術」と「心法」とに分け、それらを補完させながら進めています。
「体術」とはいわゆる「からだ使い」のことであり、動きの根本原理を指します。姜氏門では、手足の動き、身体の進退 「全動」は、全て体幹深部の「一動」より始まる、と考えています。この感覚を効果的に身につけるために、放松功、站樁(立禅)、順勢式などの基本訓練から入り、身体のセオリー(規矩)を身につけた後に、秘宗・形意・八卦・太極などの各拳法、武器術の内容に進みます。技の種類は膨大ですが、基本はどの技術も、同一の「理」で成り立っているのが当門の特徴だと言えます。この訓練は「天然之内功」を体得することを目標としています。
「心法」は、自分や大事な人の身を守る際に、どのような意識の持ち方で体を動かせば安全か、相手を制圧する場合はどのような手順が効果的か、という武術において避けては通れない「戦略」「間合い」「呼吸」などの無形の要素を学びます。立禅をしたり、二人で組んで稽古したり、内功武術の「意味」を学ぶ重要な教程です。

身体を楽しむことを学ぶ

稽古が進むほどに、身体は無限の可能性を秘めており、それを掘り起こすのは、自らの精神(心意)であるということを実感することができます。当会の練習体系では、初歩から出来るだけ、自分の心身に備わった不思議な作用に興味を持ち、それを実感し、自ら訓練を積んでゆけるような指導を心掛けています。 
盲目的に与えられたノルマを繰り返すうちに一握りの者だけが到達しうるというような、旧来の保守的な稽古法よりも、知的・体験的に納得した上での工夫こそが、時間的にも制限の多い現代の私たちに相応しい上達法と考え採用しています。

姜氏門二代伝人 鄒淑嫻師老師紹介

1925年、中国四川省重慶銅陵県にて、富裕な名門の末女として生まれる。
幼少より体が弱く、各種慢性病に悩まされ、ついには医者にも「20歳までもたない」と宣言される。日本の重慶空爆を機に上海へ移住。浦東の名家沈家に嫁ぐ。

上海の名士の紹介で孫禄堂先師の徒弟である孫家拳名師、程殻如老師につき孫・楊式太極拳を学び、半年余りで心身共に壮健になったことから、太極拳を一生の仕事にすることを決意する。
程師亡き後、師の紹介ですでに教えを受けていた、国民党の武術人材養成機関「中央国術館」の元教授、形意拳・八卦掌・秘宗拳名家、姜容樵老師の徒弟となり、同時に義理の親子の縁も結ぶ。(伝人中、姜家の一員として唯一家譜にその名が記載されている)
以来、文化大革命に至るまで、上海を代表する女流武芸者として、また姜氏門第二代継承者として、常に上海武術界をリードする存在であった。この頃、姜老師の紹介で、傳鍾文・張長信・張某等名師に、それぞれ楊氏太極拳、六合八法、功力拳を学び、沙国政師兄や中央国術館の沈師兄よりそれぞれ通臂、八仙剣、八極拳などを得る。伝統文化、芸術には冬の時代であった文革期間は12年間、只師伝の道流を絶やさないようにと、人目を避け、ひたすら専心研究を重ね、武芸は純化し、姜容樵老師の衣鉢を継ぐこととなる。解放後、中国の南北に限らず、世界各国からもその武芸と、高潔で暖かな人柄に惹かれて、多くの学生が師の下に集うようになった。現在は後進の指導を持って自娯としている。

上海に於ける八卦門代表人物として95歳に到るまで、上海武術協会直属の長老会「掌門人会議」に所属、上海の地でその伝統を守る存在であった。 そして99歳の現在も故郷の重慶にて、さながら神仙の如く日々の稽古を楽しんでいる。
鄒老師に学んだ学生は数千人を下らないが、その中に7名の入室徒弟がいる。日本在住の伊与久大吾(鄒誠博)はその1人として、母国において太和躰術協会を主宰し、東洋伝統の心身観を伝え、人々の健康に奉仕している。