山家當流、馬場流

山家當流と馬場流について

山家當流、正式には山家當流甲冑組討鎧徹之傳。馬場流は馬場流小具足組討必勝傳と言う。
共に「さすが(刺刀・指牙。馬場流では挟加)」と呼ばれる小刀、所謂鎧徹を用い、組討に利を得る為に研究工夫された甲軍(甲斐武田家)の御家芸である。

馬場流については、武田四天王の一・馬場美濃守晴房公より始まり、どういう訳か上州の私の家に伝わったもので、私は祖母からこの技を学んだ。
奇声を上げ、不思議な身振りで敵ににじり寄る型は鬼気迫り、幼い頃の私には異様なものに映った。
今思えばそれは、戦場で過度な緊張による遅れを取らぬための知恵であったろうし、烏跳と言う歩法も、何が落ちているかわからない戦地で複数の敵に対した時の知恵であったと思えるのだが、家の婆が必死の気合で馬場流を行う姿……は、全く好きにはなれなかったのを覚えている。
後に武友より、この流儀がかの越後上杉謙信公の軍を大いに苦しめたと聞き、改めて見直した次第。
今になって先代には面目無いと感じている。

山家當流の由来は、やはり武田四天王の一で赤備の山県昌景の家中より出る技と言う意味で、山県家無双の武辺者、曲渕庄左衛門吉景が伝えた。
特徴としては「必勝傳」の技に、古府中毘沙門堂の住持より相伝された「未精進(ひつじしょうじん)の法」と言う摩利支天を本尊とした断食を伴う二十一日間の密教修法を加味したところで、これ以降曲渕は数十度の戦働きにも傷一つ受けること無く戦功を挙げたと言う。
私はこの技を、神道軍傳研究所所長であり甲賀忍びの伝統を継ぐ最後の師範、川上仁一宗師家を拝して修業をし、伝統に則り廿一日の断食を経て教伝を印可された。
学んで驚いたのは、私がかつて稽古をした馬場流とその内容、風格、思想、刀の拵え等に就いてまで非常に近似していたことだ。
しかし川上宗師家より学んだ内容は、鎧徹の技法に留まらず、馬上組討、戦太刀打、有職故実等、より総合的、そして戦国武田の気風を伝える素晴らしいものだった。

この両流の発祥地及び、開祖の墳墓等は、私の現在住む道場のある地にほど近く、車でなら一時間もあれば全て回れるほどである。
縁に導かれるようにして学ぶに至ったこの甲陽古伝の武芸を、これからも絶やすこと無く伝えていきたいと念じている。

甲陽流 指牙之術